【本を捨てよう】過去必要だった知識に取り憑かれない

知識をたくさん蓄えることで安定している自分がいたなって思う。

 

本をとにかく読む。

勉強もする。

 

あまりにもモノが増えたので、

覚悟を持って、本を捨てようとする。

でも、捨てる直前に、ちらって本を読んでいる自分がいた。

 

改めてため息。

 

もったいない!

まだ学び終えていない!

いつか使うかもしれない!

って思っていたけれど、

 

なんだかんだ言って、高校の時からずっと持っている本まであった。

覚悟して、ゴミ箱行きへ。

 

 

はっきり言って、世の中すごいスピードで変わっている。

だから、

モノをキープする=モノを取り替えない

と言うこと自体、リスクにもなるって最近すごく思う。

 

例えば、私が思い切って捨てた高校の時からの本は、

英語教材の本。

 

結構ボロボロになるまで使っていた本。

でも、なぜそのボロボロがそんなに長い間保管されていたかというと、

構文が体系的にまとめてあって、私にとって「便利」だったから。

(とはいえ、しばらくは全然、使っていなかったけれど。)

 

そんな年季の入った本であっても、

いざ本当に捨てようとなると、

色々考えることもある。

 

例えばページをパラパラ見て、

文法でもまだまだ使いこなせていないもの沢山あるなとか。

知らない単語あるなとか。(そんなの当たり前)

 

そうすると、英語の勉強どうしよう?ってなる。

私には英語は手段として本当に必要。

 

それで、アプリ探してみたら、

簡単に隙間時間で英語が学べるようなアプリも沢山あった。

 

便利そうなモノを見つけて、インストールしておいた。

(使うかわからないけれど。)

でも、とりあえず、英語の勉強の再開のきっかけにもなるし。

 

世の中、勉強の仕方もかなり変化している。

英語のアプリを見て、結構便利なものが無料で使えたりして驚いた。

 

私が中学生・高校生の時にやっていたみたいに、

何も、机に向かって、紙とシャーペンで勉強することだけが、勉強じゃない。

 

こんなこと当たり前だけど、

でも、古いモノに囲まれていると、

こういう当たり前のこと実は全然できていないことがある。

そもそも、「その本を使ったやり方は古いよ!」ってことすら気づいていない。

 

 

 

 

 

本は捨てて、それでも必要なら、今ある新しい情報、新しいやり方に出会える。

 

もちろん、新しければいいわけじゃない。

ただ、私は確実にその本を手にした時から、歳を重ねている。

でも、本が書かれた時計は絶対に進まない。

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だから、変化している「私」に合わせないと。

変化しない「本」じゃなくて。

 

そうじゃないと、ただ知識欲をみたいしたいだけに学んでいるだけ。

 

はっきり言って私が捨てた高校の英語の本は、明らかにセンター試験向け。

 

でも、私に今必要なのは、

海外の記事をささっと読んだり、

ビジネス会話の上達だったり。

 

なのに、中途半端な本があると、

じゃあ、これは「便利」だし、「使える」から、

これでまず文法を学び・・・次に・・・なんてなってしまう。

必要なのはそうじゃないのに!

 

だから、結局ゴミ箱行きが正解。

もちろん全盛期以外は使いもしなかったし。

 

ゴミ箱行きにしないと、むしろ損してしまう。

過去に戻っちゃうから、

ただ知識欲見たすことだけに大切な時間が取られちゃうし。

 

特に自己啓発系の本とか、ビジネス系の本とか、

スキル系の本も、「その当時」の自分が必要だったからって、

「今」の自分が必要とは限らないから、

あくまで「今」の自分の声に従ったほうがいい。

 

もったいないって気持ちがある。

私もめちゃくちゃあった。

知識欲の塊みたいな人だったから、それこそ、

本当に本を捨てられない人だった。

 

でも、捨てよう。

理屈じゃなくて、理由じゃなくて、

ただ、手放そう。

 

所詮、家にある本なんて、世界中の本の多分0.000001%(⬅︎これ適当な%です。)

だから、全体の「一部」に取り憑かれない。

 

まして、「過去」の自分が選択した「一部」に取り憑かれない。

 

不要なものがなくなれば、本当に自分が必要で、

今の自分をさらに成長させてくれる知識が明らかになる。

 

さて、もっと捨てよう!