終わりよければすべてよしにさせる努力

モノを捨てるモードの日々が続いていると、
家具の配置やら、色々と非効率的な事も目につく。

 

という事で、今日は色々と配置を変えて、
なくすものなくして、更なる部屋の改善をしました。


でも・・・

改めて感じたのが、
「配置とかそういう問題じゃないんだよね・・・
設計そのもの」っていう事。

 

もうね、
家の設計そのものが使いにくいの。


不必要な扉があったり、
使いにくい位置にキッチンに固定された家具があったり・・・

 

だから、どれだけ改善って言って、
頭使って、知恵絞って、
住みやすくなんて考えても、そもそもの構造がねってなっちゃう・・・

 

もちろん、そんな事は言ってられないので、
せっせと整理整頓して片付けたけれど、

 

改めて「どうスタートするか?」って本当重要だなって感じました。

 

つまり、結局のところ一度形ができてしまうと、
それを基準にあれこれ考えちゃう。

 

もうその形ありきの話だから。
だから、結局腹の底では、いやそもそも土台がね・・・
ってなってもそんな事言ったって、どうにもならないから、
出てくる考えもどこか曲がったものになっちゃう。
無理してるんだよね。

 

そういうのって、生きていればたくさんあると思う。
生活の基盤ができてないのに、子供が生まれたりとか、
憧れと勢いとノリで自分の趣味の家を作っちゃったりとか。。。

 

特に、簡単に変えられるものはいいけれど、
家族はまず絶対に変えられないし、
それに家もコロコロは変えられない。

 

終わりよければすべてよしとか言うけれど、

スタート超肝心でしょ。

 

そうやって間違いもしながら、学びながら・・・それも人生って言われそうだけど、
軌道修正ばかりに時間が取られてしまうのも事実。
終わりよければすべてよしにするためのプラスαの様々な努力。

 

だから、その決断がその後の人生すべてに影響するような大きなものは、
本当に真剣に、考えて決断しないとね。

 

どうやったらそれができるんだろうっておそらく、
ただ謙虚になる事なんだと思います。

 

自分の能力には限界があるし、
人にはそれぞれの得意分野があるんだから、
ちゃんと聞くべき人に聞いて、知るべき事は知って、
助けを求める事は助けて・・・

 

謙虚になって、自分が自分である事にしっかり集中できる環境を作る努力をするって本当大事。

 

 

 

 

 

時間は命なのに無駄遣い

時間は命。

この言葉、聞いて、そうだなって"心から"わかってから、

もう何年も経ったけれど、

本当にわかっていない自分がいる。

 

部屋の掃除をしていた時、たまたま昔のIphone4Sを見つけて・・・

そのままゴミ箱行きも出来ないし、ネットで調べたら、

送料無料で買い取ってくれるって会社あったので、

へえ〜簡単じゃんって思って、登録したものの・・・

 

色々な事ちゃんと確認できていなくて、

下取りにあたりiCouldのロックがわからなかったり・・・
それに必要なApple IDがわからなかったり、秘密の答えがわからなかったり・・・

 

ああ何してんだろって思いつつも、調べて、アップルの人と話して・・・

 

多分トータルで2時間くらい消費。

 

だから、何なの?って感じだけど、

こういう煩わしい事をやっていると、

貴重な時間がどんどん奪われていくんだな〜ってすごく感じる。

 

ちゃんと確認しなかったのも悪いし、

そんな記憶もないくらい昔のものでしかも捨てるつもりだったものに、

あくせくと心配するなんて・・・

本当無駄。

 

結局、ああもういいや〜ってなっちゃう。

 

時間って、All or nothingだと思う。

 

いい時間かそうじゃないか。

 

そうじゃない時間を少しでも減らしていかないと、

人生の道を外していくんだよね。

 

結局、iPhoneの事はよくわからないままで、

多分本当に処理しようとすると、これからも時間が取られそう。

 

おそらくこんな事ものの10分でささっとやる人もいるだろうけど。

私はそうじゃないんだから、見切りつけて、

自分の為すべき事にもっと集中しなきゃね。

 

管理できるキャパ限られているんだから。

パスワードも秘密の質問も全部忘れて、
メモったのがどこにあるかわからない時点でキャパ超え。

 

だから、そういうのは潔く、さっさと諦めて、もっと自分が為すべき事に時間をシフトすべきだね。

 

結局、諦めないで、無駄な事をしてしまった行動って、

✔︎行き当たりばったり、✔︎その場限り、
あとは✔︎執着と✔︎欲と✔︎満足感(再利用できた!っていう)くらい。

 

こうやって書くと、なんか汚いね。


「捨てるべき想い」と「貫く想い」ってちゃんとわけないとね。

どうやってわけるかって、おそらく惰性でやっている事は全部「捨てるべき想い」。

惰性でやってる時点で目的不明瞭だし。

 

不明瞭な時間って無駄な時間。

 

あれ、何してたっけ?とか、私何してんだ?って時間。

 

これを良い反省にして、時間は命、改めて胸に刻みます。

 

 

 

 

 

 

すごい!よりありがと〜

嫌われる勇気。読了。

 

メインのメッセージとは違うけれど、
途中で面白いと思ったのが、これ。

 

人は他者から褒められれるほど、自分には能力がないという信念を形成していく。

もしあなたが褒めてもらうことに喜びを感じているとすれば、
それは縦の関係に従属し、自分には能力がないと認めているのと同じなのです。

褒める事は能力のない人に下す評価なのですから。

褒めてもらうことが目的になってしまうと、結局は他者の価値観に合わせた生き方を選ぶことになります。

 

褒めるって基本、上からだよね。

 

昨日、姪っ子が遊びに来てくれた時、

やたらと、「スゴイね」「やったね」

って褒めていたけれど、

それって確かに上からだね。

 

子供の話をすると、話が沿れてしまうのでさておき、

 

本来、相手を褒めるじゃなくて、相手への感謝こそ、

その人の価値を褒め称えているんだなってすごく感じた。

 

「すごいね。」じゃなくて、

「ありがとう。」

 

特に仕事とかはその典型。

周りの人から「すごいね、すごいね。」って言われて、

調子乗っているのは、論外ね。

 

周りの人から「ありがと、ありがと。」って言われて、

自分の価値を改めて認識できる。

 

結局、自分は自分でしか生きていけないんだから、

「すごい、すごい」で期待に応えて、

どんどん背伸びしちゃうより、

 

ありのままの自分の価値を自分が認めて、

自分の働きに、「ありがと」が生まれる場所と人を選んで生きたいね。

 

 

 

 

相手を怒らせたらダメ。

彼との電話。

 

少し怒らせちゃった。

 

たとえ、1秒で回復する仲でも、

相手を不機嫌にさせることって、

本当、最悪だなって思う。

 

相手に何があろうが、

相手を怒らせた時点でダメ。

 

そこには平和がないから。

 

神様は、「言葉に気をつけなさい。口は心を反映する」って言っている。

 

相手を怒らせるって、

心のどこかで、汚いものがあるんだよね。

 

認めたくなくても。

 

なんか不純が混ざっている。

 

こういうことに対して、

相手がどうのこうの言って、

自分を正当化させていたら、論外。

 

相手のこと、どうのこうのの前に、

まずは自分だって。

 

怒らせたら負け。

 

すべての人と平和を築く、そういうゲームと思って、

心の不純を取り除く努力をする。

 

心は磨かないと。

そのためには、罪は罪と認めないと。

 

埃かぶってんだから、掃除しないと綺麗にならない。

罪と認めたら、初めて、磨かないとってなれる。

 

相手を怒らせたらダメ。

 

 

どっさり捨てる

どっさりものを捨てました。

 

どっさり捨てると、

どっさり心も軽くなった感じ。

 

本当に。

 

まだまだ執着している部分があると思うけど、

少しずつ、ものの執着を外していく。

 

私はこれまで半端なくものを大切にしてきた・・・

と思っていた。

でも、その大切さって、

結局執着だったかも。

 

今回バッサリ捨てたもの・・・

 

当然全部不用品。

ここ何年も触っていなかったもの。

 

だいたいそういうのが部屋にあるってこと自体、

アクションをすべきことだったから、

今日どっさり捨てられてよかった。

 

不用品に囲まれた空間って本当に死んでる。

手つかず。

 

手つかずだとどんどん雑草が生えるみたいに、

手つかずの空間って空気が淀んでる。

 

ほこりが溜まるってそういうことだし。

 

だいたい一人に人間が管理できる量なんてしれてる・・・

 

どこに何があるかわからない状態はもうアウト。

 

今は使わなくていけど、後々使うから・・・

もいいけれど、でもせめてどこに何が保管してあるか、

わかる範疇まで。

 

もうそれ以外は、

キャパ超えてるから。

 

そうやってキャパ超えしているのに、

ものに溢れていると、

もっと大切なところに、

力注げなくなる。

 

一人の人間キャパ限られてるから。

 

どうでもいいものに大切な容量を使ってはダメ。

こうして人生の道を外していくから。

 

要らないものは処分する。

使わないものは処分する。

 

いつか、いつかって言ってたら、

子孫たちに棺桶に入れてもらうの頼むことになるし、

ものがありすぎて、棺桶特注しなきゃいけないかも。

余計にお金もかかる。

 

将来のいつかのために、

「今」の快適さを妥協することなかれ。

 

本当に。

筋トレが先。自己啓発本は後。

やたらと本を読む人がいる。

私もかなり本を読む。

特にビジネス書関連。

 

好きだし、仕事だし、勉強になるし・・・様々な理由。

 

自己啓発本ってある。

書店に行けばブースまであるほど、かなりメジャーなカテゴリー。

 

自己啓発本って、次々新しいの出ているけれど、

実は読んでも全然意味ないこともある。

 

本当、読まないほうがいいくらいなこともある。

 

それはなぜかというと、

やらないから。

 

シンプルに、読んで、知識欲満たして、

満足して、口先だけ達者になって、

でも実践がついてこないから・・・現実とのギャップに余計悩む。

 

これって微妙じゃない?

 

こうなるくらいなら、読まないほうがいい。

極端、知らないほうがいいくらい。

 

変に、自分を過小評価したり、

劣等感を感じたり、

やたらと自分に厳しく、疲弊したり・・・するくらいなら。

 

自己啓発本って、結局

「こうやれ!」ってことを言っている。

 

例えば、早起きしろ、

メールは早く返せ(もしくは返すな!っていう本もあるはず)

こういう時はこう考えろとかいう思考系。

 

とにかく、基本こうしろ!ってことを示している。

 

別にいい悪いじゃなくて、

自分でいいと思うことはやればいいし、

これは違うなって思えば、やる必要ない。

 

で、やれ!って言われているのに、

やれないから、本を読んでも変わらない。

 

ここ、本当に気付いたほうがいい。

 

やらないんじゃなくて、やれない。

私もこれ気付き始めて、リアルに変化が起きた。

 

だから、結局、自分でやるって決めたこと、

やりきる訓練が先。

 

これは訓練。要練習と反復。

 

そして、いちいち本読まなくたって、

もうわかってるはず。

 

一つや二つ、

やらなくては!もしくはやめなくては!

って思ってるのにできていないこと。

 

本なんてまずは全部無視して、

そうやって自分で既に分かっていることに、真剣に向き合ってみる。

やってみる。

やめてみる。

 

それができないから困っているんだって本を読むけれど、

結局のところ、そういう場合の本は、ただの応援団。

 

モチベーションが上がるとか、やる気が出るとかね。

 

でも結局は、自分がやってみる。やめてみる。

そういうこと。

 

そうやって、少しずつ思考と行動の筋トレして、

だんだんコントロールできるようになって、

そして、さらにバージョンアップを求めて、

本からも学んで、自分を磨いていけばすごい本を活かせるようになる。

 

だから、まずは筋トレ。

小さなことで。

やってみる。

やめてみる。

いい加減過去に文句をいうのやめようよ

過去に文句ばっかり言っている人がいる。

そういう人の顔、大抵怒っている。

 

実際に怒っていなくても、目が怒っている。

表情が伝わる。

 

そういう人、

他でもなく、自分に怒っているんだよね。

 

自分がしてきた選択に。

 

認めたくないけれど、

でもだからと言って、今が現実なんだから、

仕方ない。

でも仕方ないで開き直れないから、怒りになっちゃう。

 

心のどこかで怒っている。

そういうのが体の節々から漏れている。

 

本人も本当に一生懸命。

怒りを抑えて、十分頑張っている。

 

こうなってしまったのは、そうしなきゃいけない何かがあった。

 

その時、その時の決断。

あの人から言われたこと、

この人から言われたこと。

 

あの時の自分の状況。

 

その時には、それがベストと思って、考えて、歩んできた。

 

だから、それを今になって、

ああだこうだ言っても、

その時の自分にはその頭がなかったから、

その時の自分で、ベストを選んだ。

 

ないものはなかった。

それをこうすればって考える頭がその時はなかった。

 

だから、今は、それに対してこうすればって考えられる頭があるってこと、

つまり自分の成長に目を向けるってすごく大事。

 

 

過去って結局は今、現在の解釈でしかない。

 

そもそも過去自体も存在しない。

だって存在しているの「今」だけだもん。

 

過去は変わらないから、未来に目を向けろ!とかいう人がいる。

 

でも未来も今、ないよね。

 

同じように、過去って幻。今、どこにもない。

過去を覗ける扉もない。

 

ないの。

ない。

 

過去はない。

ない。

 

だから、もう過去に文句をいうのはやめよう。

幽霊に文句言っているようなもの。

 

過去は、心の中にある解釈。

 

その解釈を変えるのは、今この瞬間、これから作っていく今。

 

そもそも存在しない過去を相手にするのもやめよう。

空気にパンチしている感じだから。

 

全部今。

今しか動かせないから。

本当に。